弟橘姫は浪の上に菅畳八重、皮畳八重、きぬ畳八重を敷いて、その上に座って入水した。この弟橘姫をキャラクタにした「ひめちゃん」


2012年2月 7日(火) 18:12 JST

弟橘姫(おとたちばなひめ、弟橘比売、弟橘媛)

おしらせ日本武尊の后。穂積氏忍山宿禰(ほづみのうじのおしやまのすくね)の娘だといわれています。日本武尊との間に稚武彦王(わかたけひこのみこ)をもうける。

日本武尊の東征に同行。走水(はしりみず)の海(現在の浦賀水道)に至った時、日本武尊の軽はずみな言動が海神の怒りを招き、海は荒れ狂い、先に進むことが不可能になってしまいました。海神の怒りを解くため、弟橘媛は「私は夫である皇子の身に替わって海に入水します。どうぞ皇子の東征を護らせ給え」と念じ、浪の上に菅畳八重、皮畳八重、きぬ畳八重を敷いて、その上に座って入水しました。すると波が穏やかになり、船を進めることが可能になったということです。
彼女が持っていた櫛は、7日後、海岸に流れ着きました。
弟橘姫を忘れられない日本武尊は、足柄の坂本において、「吾妻はや」(我が妻よ)と嘆いたと言われています。


弟橘姫は海に身を投じる際、

さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも
佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那迦邇多知弖 斗比斯岐美波母

と詠んだ。「相模の野に燃え立つ火の中で、わたしの心配をしてくださった貴方」という意味です。相模の国造にだまされ、火攻めにあった時のことを言っているのでしょう。日本武尊に対する感謝の気持ちがよく表れています。日本武尊の「吾妻はや」という言葉とあわせると、ふたりは固い絆で結ばれていたことがわかります。

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